1999年頃のネットバブル時代、数々の紙面に登場した本間毅氏。その頃は、学生起業家の若きアントレプレナーとして、また、ビットバレーのけん引役としても活躍していた。
あれから8年。自らが起業したイエルネットをたたみ、日本を代表する大企業であるソニーに身を置き、さまざまな新サービスの開発に従事している。
「大企業でもベンチャーでも、大事なことは世の中の役に立つことができるかどうか」と語る同社コーポレートディベロップメント部ネットメディア開発室チーフプロデューサーの本間氏に、実体験からくる起業家として働くことと大企業で働くことの相違点や共通点、今だから語れる当時の話を教えてもらいます。
※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。
本間毅(ほんま・たけし):1974年生まれ。中央大学在学中から起業し、1997年にWebインテグレーションを行うイエルネット設立。黎明期のビットバレーやピーアイエム株式会社(後にヤフージャパンに売却)の設立にも関わる。2002年、イエルネットの全営業権を譲渡し、2003年、ソニー入社。ネット系事業戦略部門、リテール系新規事業開発等を経て、2005年よりグループ内のネットメディア開発に携わる。社外ベンチャー企業との協業により、Web2.0やBlog/SNS系テクノロジの社内導入を推進する一方、ソニーグループのアセットを活かした新たなネットメディアとしてeyeVio(アイビオ)を立ち上げる。ブログ:イントレプレナーの視点
僕の生まれは鳥取で、19歳まで鳥取で育ちました。鳥取での生活は話として面白いものではないのですが、子供の頃は絵やプラモデルといった“創る・作る”系が好きだったんです。
性格的には目立ちたがりでしたね。クラスでいつも発言をして、父兄参観日にはここぞとばかりに手を挙げるといった具合です。運動はめちゃくちゃ苦手でしたが、文科系に関しては勝ち気だったと思います。
父方の祖父が京都出身で建築家。京都では十何代続いた宮大工の家系で、父の代に鳥取へ。一方、母方の祖父は、島根の出身でこちらも建築関係の商売をしていました。そして僕の父はサラリーマン。だから、現場を見たわけではありませんが、小さいころからサラリーマンと商売人、そして経営者を自ずと比較して育つ形になりました。
それぞれの人生を見て行く中で学ぶことは多かったですね。積極的で何かを作るということが好きな幼少時代に、サラリーマンの父とクリエイティブな建築家である祖父を見て、自分がどうなりたいかは漠然とですが見えていましたね。
もう一つ大きかったのは、小学校5年(1985年)の時に、初の海外旅行でヨーロッパに行ったことです。統合前の西ドイツとベルギー、オーストリアなどを巡る旅。短期間ではありましたが「世の中にはさまざまなモノと価値観がある」という気づきは、僕が最近強く思っている「たくさんある物事や価値観をなるべく広く持とう」という「多様性の尊重」に通ずるものがあるんじゃないかと思います。
先ほど鳥取での生活という話がありましたが、僕にとっては退屈なものでした。鳥取砂丘はあるけれど、動物園もないし水族館もありません。これは個人的な意見ですが、文化に関しては非常に発達が遅れていて、風土としてはコンサバティブで、出る杭は打たれるという風潮でした。その中で窮屈に感じていたというのが正直な気持ちでしょうか。刺激に飢えていましたね。
進学に関しては、特に「東京で」というわけではなく、関西で受けた大学に落ちて、東京の大学に受かっただけのことなんです(笑)
自分に特出した能力があるわけでありませんが、一つ誇れるのは「自分に嘘をつかないこと」です。自分の価値観における好きか嫌いかの判断はしっかりできたんです。前例がないから判断がつかないというのではなくて、直感的に「すごい!」と感じたものは素直に「すごい!」と思えたという意味です。
大学に入ったあるとき、自宅からダイアルアップでインターネットに接続して、「これは面白い!」と思いました。その矢先に、起業している学生がいるという新聞記事を目にしたんです。悔しかったですねー。自分は何故できないのかと。経営者になりたいと思ってはいるのに、何かを生み出すということで既に先行している人がいるという現実が悔しかったんですね。しかも、同年代でしたから。
それから一気にビジネスに対する情熱が募り、今からインターネット分野でビジネスをすれば、早く始めた分だけアドバンテージになるなと考えました。1994年当時はまだインターネットに関して、大学の先生以外にプロがいなかったですからね。あとは、始めるだけでした。
僕の大学には起業している人がほとんどいなかったんです。周りに比べてここは遅れているんじゃないかという危機感もあって、1996年の大学祭の時には、学食に50台のパソコンを並べて、インターネットカフェをやったりましたし。
事業を立ち上げた当時は、中小企業のウェブ制作を軸にしていて、とにかく人の紹介に次ぐ紹介で仕事をもらっていました。わらしべ長者みたいなものですが、最初の一本の藁がなければ、今に繋がらないものってたくさんあると思います。あのころは本当に楽しかったですよ。
「最年少の上場企業社長を狙っていましたが、2000年夏ごろから売り上げが落ちてきました。その原因がバブル崩壊の兆しだったことに気づかなかったというよりも、認めたくなかったんですね」
当時はブラウザが賢くなかったので、僕でもできたんです。有限会社化する1997年まで、ほとんど儲かっていませんでしたが、人との出会いや自分がやりたいと思っていた経営を勉強しているというところにモチベーションがありましたね。 出会いという観点では、そのころ他の大学、例えば青山学院大学や慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)でインターネットをやっていた連中と繋がって、それがその後の「電脳隊」に繋がっていますからね。
どれだけやったら人に認めてもらえるかではなくて、やっていることを発信することがインターネットの良いところなのだから、いかに小さくても自ら発信することが大事だと考えました。
インターネットの可能性に対して感じた直感は、今現在でも変わっていません。まさかここまで一般化するとは思いませんでしたけど。
鳥取の親戚は大反対しましたね。「長男なのだから実家を継げ」と言われましたが、僕は何としてもイエルネットを継続したかった。だから、それまでに取り上げられたメディアのコピーを大量に送りつけて親戚を説得しました(笑)
僕の人生、何故だかさまざまな物事の順番が逆なんですよ。企業に入る前にベンチャーをやって、学校卒業する前に仕事を始めてしまったりと。会社法人化したあとも、留年していましたから、仕事しながら学校に行ったこともありましたね(笑)
本気で目指していましたよ。準備も6割程度終わっていて、2000年11月の上場を目指していました。最年少社長を狙っていたんです。でも、2000年夏ごろから売り上げが少し落ちてきていたので、もう少しきっちり力を付けてからという方針に変えたんです。しかしその原因がバブル崩壊の兆しだったことに気づかなかった。気づかなかったというよりも、認めたくなかったんですね。
さらに、その段階までくると自分が立ち上げた会社ながら、さまざまな人の思惑が絡んできますから、「この会社は自分の会社なのか?」という感じにもなりますよね。一気に資金繰りに関する意識も薄くなりましたし、自分自身で売り上げを作らなければならなかったのが、「如何にして資金を有効に使って行くのか」という視点に変わりましたから。
成長して行く中で、いかにして緊張感や会社経営のモチベーションを持ち続けられるか――。これらの視点ですべての経営者を僕は尊敬しています。上場することだけがゴールだとしたら、モチベーションなんてあったもんじゃないですよ。
イエルネットとしての売り上げはそんなに落ちてはいませんでした。お客様には恵まれていましたし、良い仕事もしていましたが、仕事の絶対量が減っていたんです。2002年には頑張っても売り上げは増えないという状況で、社員も徐々に去って行きました。一時期50人いた社員も30人に減っていきましたから。苦しい決断でしたが、ここでリセットしようという話になり、2002年11月の終わりに事業を一旦止めて、他社に営業譲渡するというアナウンスをしました。
周りからは「早く誰かタオルを投げてやれ」と感じていたと、後から知りました。何のために戦っているのか分からないけど、とにかくサバイブしなきゃという気持ちが強かったですね。精神的には病んでいませんでしたし、塞ぎ込んでいる場合でもなかったですから。それと、本当に多くの人たちに相談にのってもらえましたし。
僕はベンチャーではさまざまなことを経験から学びましたし、ここソニーでは組織や人から学んでいます。会社は与えられたコンディションで何かをやらなければならないという状況の中、気持ちとクリエイティビティを使いながら新しく切り開くという点でベンチャーでの経験が生かせていると思います。今は、組織の作り方と動き方、人そのものに関して学ぶことが大きいですね。
それをふまえて、「過去の自分がどのように人をまとめていたか」「リーダーシップはどうだったか」と考えれば反省点はたくさんあります。
「企業のCEOから大企業の一社員となってどうか」というのをよく聞かれることがありますが、僕にとってはどうもこうもない。一軍から二軍に落ちたら気分は落ち込みますが、野球選手がプロレスラーになっても落ち込まないですよね。転向した先を違うステージにしただけですから。社長から社員ではあるけれども、イエルネットからソニーというのは全く違う土俵なんですよね。迷いは有りませんでした。
以前は人・物・金を集めるところからはじめて、ないリソースの中でいかに面白くするかを考えていたわけで、それはそれでとても良い経験でした。しかし、今はリソースがある中でやれるわけですよ。これまでとはまた違ったところに頭を使えるという楽しみがありますね。与えられた環境だけれども、クリエイティブな能力を発揮して新しいものを創るというのは面白いです。
ソニーブランドもさることながら、多様性が面白い。映画、音楽、ゲームにエレクトロニクス。たくさんあるがゆえの苦労やジレンマを、これまでこの企業は経験してきていますし、ソニーのネットビジネスは前人未到なんですよ。反対意見もありますが、大勢が反対する中で自分の信念を貫くというのは、これまでもやって来ているわけで、何も変化するものはないんですよ。スプリットは昔と変わっていません。
また、ソニーと協業することでバリューが上がる企業はたくさんあるわけですから、僕はその橋渡し役になりたいと思っています。だから敢えて、アントレプレナーではなく、「イントレプレナー」という表現をして、自分自身のアントレプレナー的なマインドを忘れないように心掛けているんです。
ソニーの今後のネットメディアをどうすべきかを僕の所属する事業部は考えています。ようやく新たなサービス「eyevio」が立ち上がったばかりなので、これからはフルスロットルですね。
このプロジェクトは現在6人でやっています。当然社外の方々のサポートがなくてはできませんし、当時からの知り合いとこれまでとは違った形で協業ができているんです。このサービスを成功させることが、ソニーの次の形の礎になると信じています。
「起業したという経験こそが、さまざまなところで生かされていくということを知ってもらいたい。それがたとえどのような結果になったとしても、決して、後ろ向きなことではない。そのことを、これからの日本を担う若い人たちには特に、知っておいてもらいたい」
その都度好みが変わるのですが、ここ最近であれば「ブルー・オーシャン戦略」は面白かったですね。あとはバズマーケティングに関する本など。
料理は食べるのも作るのも好きですね。そして旅。一度も行っていないところに行くというのは良いですね。北京にシンガポール、パリにプラハ、つい最近ではペナンとホーチミンに行きました。旅を良くするも悪くするも、人と食べ物と景色――この3つですね。その意味ではプラハは良かった。ご飯もおいしいし、ビールも美味しい。
冒頭の話に戻りますが、やはり両祖父ですね。商売とクリエイティブな思考がブレンドされましたから。
僕が思うのは、逆算したら面白味がなくなるのではということですね。あと何年で部長に、あと何年で支店長になってというような。基本的に、出世は関係ない。自分がどれだけ会社に貢献できたかの結果をまともに評価されれば出世するわけですから。
自分がどの仕事をどうやれば、自分の能力・経験が最大に生かせて、会社に儲けさせることができるか。これが見つかれば、大企業だろうとどこだろうと楽しいですよね。
もう一つは、やりたいことと会社の方向性がいかに一緒になるか。やりたいことが他にあるから会社を辞めるというのも一つの方法ですが、会社内でやりたいことをどうドライブするかも大事だと思っています。
どんな会社に身を置こうとも、世の中のためになることができるかどうかを考えることは、すごく重要だと思います。そのために自分の時間を費やすわけですから。僕としては、今このソニーでネットメディアをどうして行くかを考えることが、自分、会社にとって、さらには世の中のために一番貢献できることだと信じて活動しています。
また、今の環境で自分がもっともっと活躍し、会社をたたむことは悪いことでも怖いことでもなく、むしろその起業したという経験こそが、さまざまなところで生かされていくんだということを知ってもらいたい。起業するということは、それがたとえどのような結果になったとしても、決して、後ろ向きなことではないんです。そのことを、これからの日本を担う若い人たちには特に、知っておいてもらいたい。
1997年日本アイ・ビー・エム入社。ベンチャー企業との協業、インターネットプロバイダー市場のマーケティングを経て、2000年よりナスダック・ジャパンに出向し、関東のIT企業および関西地区を担当。帰任後は、IBM Venture Capital Groupの設立メンバーとして参画し、その後退職し米国へ留学。パブリックラジオ局(KPFA)での番組放送の経験を得て帰国後の現在は、「“声”で人々を元気にする」をモットーにラジオDJ、イベント司会、ポッドキャスティングの分野で活動中。「Venture BEAT Project」プランニングメンバー。好きな言葉は「アドベンチャー」。
ブログ:「Edokko in San Francisco 2007」
趣味:タップダンス、ビリヤード、会話、旅、スペイン語
特技:アメリカンフットボール、陸上競技100m
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