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アントレプレナーの軌跡

2006年9月 22日 09時00分

サイボウズ創業者の高須賀氏が見果てぬ世界一への夢:後編

構成:別井貴志(編集部)

前編からの続き)

小池:サイボウズを創業しようとした当時は、もう1997年ぐらいになっていましたか。1997年というと、日本経済もどん底だったし、日本のベンチャーキャピタルもアーリーステージへの投資なんかあまりしていなかった時代だよね。

高須賀:もう山一證券が飛んで、拓殖銀行が飛んで、ジャストシステムは最安値といった最悪の時期でしたね。

小池:起業するには最悪の時期ですね。

高須賀:結局、自分たちの貯蓄と僕の親戚、嫁さんのお父さん、そういう身内から集めました。

小池:じゃあ、創業の資金はそういう親戚、友人連中を頼み倒してなんとか調達して。

高須賀:そうです。でも、結局予定の半分しか集まらなかったんです。仲間とか、いろいろお世話になった方とか、本当に「(このお金は)やるから」という感じでした。でも、結局足りなくて、大阪から松山に戻るきっかけはお金が足りなかったからなんです。

 サイボウズのビジネスってすごく広告宣伝費が必要だったんですが、これはキーファクターだったので外すことができない。その予算を確保するとあとは全部削らないといけないので、オフィスなどにはお金をかけられず、松山に戻ったんです。さらに、一緒にやろうとした2人には申し訳ないことをしましたけど、半年ぐらい給料を払わなかったんです。

小池:スウェット・エクイティーですね。

高須賀:それは「こういう意味やから」ということで、「あとの部分を削らないと立ち上がるものも立ち上がらへんから」って説明しました。

小池:最初は製品を作っているわけですよね。だから、ほとんどは開発費なわけですよね。

高須賀:そうですね。でも、ソフトウェアの開発費は人件費ですから、給与を払わなければ開発費はゼロですね。原価ゼロです。

小池:高須賀さんも含めた3人ぐらいで作ったわけですか。

高須賀:いえ、3人のうちの1人です。畑慎也(現サイボウズ取締役、サイボウズ・ラボ代表取締役社長)だけが開発をしてました。あとの2人はノータッチ。私も青野慶久(現サイボウズ代表取締役社長)も、元はみんな工学部のコンピュータ技術者なんですね。だから心得はあるんですが。

小池:最初は、じゃあ畑さんと青野さんと高須賀さんの3人で。

高須賀:はい、3人です。青野も開発したいとか言っていたんですが、一切やらせなかったですね。

小池:1人に集中したほうが効率的なんだ?

高須賀:そういう意味だと、僕は社内ベンチャーの時に既に経験していたんです。人員を集めたときに技術者ばっかりを集めました。いい技術者を集めたらいい製品ができると、良い製品ができたらいいビジネスができると(思っていた)。それが大きな間違いで、“会社”は一言で言うとマーケティングそのものなのです。ビジネスコンセプトやビジネスモデルと、それを具現化するパワーだけ。そして、一番の要点はマーケティングにあるということを1年間学んだんです。

 だから、もうとにかく僕はビジネスモデルを常に作っていって、具現するところと目標とのギャップをどうやって埋めていくかという経営をしていました。そして青野のほうは、とにかくマーケティングの仕事をやってくれと。マーケティングというとちょっと大げさで、サイボウズの初期の場合は宣伝ですね。インターネットの宣伝だけをやる。それ以外にまったく考えるなという感じでした。

小池:基本的にはグループウェアですよね。そこにフォーカスを当てたのはなぜですか。というのは、その時代ってやっぱりロータスあり、マイクロソフトありで、結構大手どころでいろいろな競合が常にありましたよね。なぜそこに狙いを定めたんですか。

高須賀:これは、実は僕じゃないんですよ。僕はグループウェアを商材とすることにすごく反対でした。

小池:じゃあ、もともと高須賀さんが熱狂的にこれをやりたいと言っていたのは何だったんですか。

高須賀:僕がその時に思っていたことは2つあります。1つ目はすべてのアプリケーションは、全部ウェブベースになると言うことだったんです。ですからウェブベースのアプリケーションにフォーカスしようと思いました。そして2つ目は、インターネットを使ったマーケティングと物流(ダウンロード)にすごくオポチュニティがあると。要するに通常莫大なマーケティングコストですが、インターネットでマーケティングを行えば弱者にとってもすごくチャンスがある。

 さらにパッケージングコスト。要するに、ダウンロードされる製品の開発だと、原価がすごく抑えられる。ということは、本来汎用的なパッケージ商品はある程度本数を見込まないと作れないところですが、コストを抑えられれば小粒でニッチであっても汎用製品の市場がたくさん生まれるのではないかというのが僕の仮説だったんです。

 だから、ウェブベースで、かつニッチな製品を山ほど作っていけば、雑貨屋じゃないですが、すごいビジネスチャンスがあるんだと思っていました。内容はなんでもいい。ただ、既存で競り合っているような市場にぶつけていっても勝ち目がない。

 そうしたら、僕はすごくグループウェアは反対だったんだけど、反対する前に畑が既にグループウェアを勝手に作っちゃったんですね。

 そこで、これは変なんですけど、そのグループウェアを見たときに「おもしろい!」と思ったんですね。理屈じゃすでに激しく競り合っている市場に出ていっても勝ち目はないとわかっているんだけど、じゃあこれで(グループウェアで)いこうということになっちゃったんですね。感性ですかね。

高須賀氏と小池氏

小池:うーん、なるほどね。大企業に本当に勝てるのかといった不安な面は考えなかったんですか。

高須賀:考えなかったですね。なんかわからないけど、可能性を感じました。

小池:ウェブベースの製品で、販売方法も違うからだと。確かにあの時代はまだパッケージ商品をすごく高い金額で企業向けに売っていた時代ですから、そういう意味で振り返るとチャンスがありましたね。グループウェアという商材でさまざまな製品を出すというもともとのアイデアからすると確かに可能性があったんだけど、逆にそれ以外のものをやらなかったのは何か理由がありますか。やっぱりフォーカスして、選択と集中という考え方ですか。

高須賀:そうですねえ……。最初にイメージしていたビジネスモデルとは若干違いますが、そこにちょっと新しいものを入れれば、勝算を絞り込んでもうまくいくかもしれないと。何でかわからないですが、そう思っちゃったんですね。そこはもう自分の中ではちゃんとロジックを立てて考えていないですね。

小池:僕はおそらくその頃にお会いしたと思うけど、カタログで最初は何か子どもだったかな。すごく優しげでフレンドリーな、心温まるソフトウェアという感じのイメージだったような気がしていたんだけど。

高須賀:すごくよく覚えていますね、そのとおりです(笑)。そのカタログを知っている人はいないですよ。サイボウズ社員の中にも。

 その後、アメリカンコミック調(サイボウズマン)に切り替えたのは青野ですね。ある意味それは彼のセンスを信じるしかなかったんですけど、僕は相当抵抗がありました。松下時代からのライフワークとして、ホワイトカラーの生産性を向上させるために何かをやっていくことで、それをビジネスにしていきたかったのですが、あのキャラクターにはインテリジェンスのかけらもなかったですからね(笑)。これがほんとに受け入れられるのかなという、そこにはちょっと抵抗がありましたけど、もう役割分担ということで割り切りました。

小池:覚えていますが、その時相談されたのは、価格設定とか、売り方とか、その辺をまだ悩んでいた時代だったんじゃないかと思うんですよね。で、僕はHotmailのお話をした覚えがあるんですよ。Hotmailって、それこそ、無料ですよね。非常にユーザーからありがたがられて、なおかつ無料だから、どんどんバイラルに(伝染するように)、口コミで広まっていった。ある意味で、新しいマーケティングの手法として、のちにバイラルマーケティングとなった基礎ですが、そのお話をしたのを覚えているんですよ。

 その時に僕は、とにかくユーザーにありがたがられるものを作った方がいいとアドバイスしたように思います。僕もずっとソフトウェア業界にいたけれど、どちらかというと、それまではメーカー側が「こんな機能があればいいんじゃないか」という押しつけのパッケージ商品みたいなものが主流で、売るほうも疑問に思いながら高い商品を売っていた時代でした。

 そうじゃなくて、インターネットの発達によって、モザイクにしろ何にしろ、基本的にはすべてタダで、なおかつこんなに便利でエキサイティングなものがあると、そういう感動が横に口コミでバイラルに広がって。だから、ぜひそういう視点で製品を作ってくださいと言った覚えがあるんですよ。

 サイボウズ自体、キャラクターも変えて、その後、ばーっと広告を展開しましたよね。

高須賀:ガンガンやりました。すごい意志決定ですよ。売り上げの50%を広告宣伝費に投下するという。

小池:やっぱりその大胆さというか、アメリカはもうそうだったんですよ。

高須賀氏

高須賀:当時アメリカはそうだったんですよね。で、アメリカは半分突っ込むけど大赤字。でも、サイボウズは半分突っ込むけど利益もちゃんと出ているみたいな(笑)。

小池:もうスピード・トゥー・マーケットで、あの時代はもたもたしていたら他社に取られてしまう。ウィナー・テークス・オールで、とにかく先にやってナンバー1のシェアを取れという時代でしたが、ある意味で日本人とか日本企業ってそれができないんですよ。ちょっとずつ、やりながら様子を見てやっていきましょうという感じで。

高須賀:ガード、堅すぎですよね。

小池氏

小池:リスクをミニマムにするようなやり方というか、経営スタイルがほとんどでしたから、そう言った意味ではあれはすごく気持ち良かった。一種の賭けだろうけど。ところで、設立から何年で東証マザーズに上場したんでしたっけ?

高須賀:ちょうど3年ですね。

小池:当時から言えば早いほうですよね。

高須賀:ちょっと早すぎたかなという気がしますね。売上が年間で8億円ぐらいの規模のときの上場ですから、そんな気がします。

小池:でも、会社自体、従業員もかなり急拡大していって、それでまたすぐに東証2部に上がりましたよね。マザーズはわりと新興企業が上場しやすいですが、東証2部はハードルが高い。

高須賀:1年半後ぐらいで東証2部に移りましたね。売上も20億円ぐらいになったんです。設立してから4年7カ月の時期でしたが、当時は最短で2部に上場したと言われてました。

小池:それからいろいろ成長戦略を立案し実行してこられましたよね。具体的にはどんなことをやってきました? 何か印象に残っているようなことは?

高須賀:基本的に言うと、グループウェア市場の中で、これもマーケティングの世界で当たり前の話ですが、ある程度のパーセンテージを超えてくると、要は強者からの攻撃が始まりますよね。ニッチなときは無視されて、自分たちのグループで好き勝手やれるんですが。そうすると、そこに対して初めて防衛策を打っていかなければいけない。

 要は、競合分析のもとで事業を進めていかないといけなくなりまして、残っていくためには小さくてもシェアをキープして効率化して利益を上げていくか、トップシェアになっていくかの2つに1つで、グループウェアのトップを目指す選択をしました。

 逆に、グループウェアのシェアでトップになるためには、次に何をしないといけないかというふうに転換したんですね。

小池:それでね、これ、全部いろいろなことをメモしてあったんだけど……。あれは去年の初めぐらいか、一昨年の暮れぐらいでしたか、「今度社長を退任して会長になる」とお聞きして。「サイボウズがM&Aをどんどん進めていくので、協力をお願いします」というので話をしましたよね。

 もうとにかくM&Aをばんばんやっていく。今まではどちらかというと、攻めてはいましたが、サイボウズというものをある程度極めるという部分で、収益的にもナンバー1になりましたし、安定してきて、次の攻めに入るというようなことで、「とにかくやりまっせ」と言っていたのを鮮明に覚えているんですが。

高須賀:1年前の話ですので、私もよく覚えています。それで、まあ、あの時点でもう既に案件はいくつか決まりかけていました。そこは後の人たちに花を持たせなあかんということで、置き土産のようなかたちで進めていたのです。

小池:どこかでお食事をしたときにそうしたお話しをいろいろお聞きして、でも、驚いたのは会長になると発表までしたはずですが……

高須賀:小池さんとお食事したときには、辞めるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。ほんとうに会長になるつもりでしたが、結局それはやめました。3秒で決めましたが。

小池:それはいつ、なんでそういう決断をしたんですか。

高須賀:ええとですね、はっきり言うと、例えばサイボウズという会社はグループウェアの会社で、それでトップになるには……、最終的にIBMからノーツを買う以外にわれわれが世界でトップになる道はないというのが、僕の1つの結論なんですね。

 そのためには、時価総額を上げてM&Aを繰り返す、これ以外にもうない。サイボウズで作ったビジネスモデルがそのまま世界に通用しない。通用しないというのは、それを展開していっても世界のトップにはなれない。これはもう僕の中での結論なんです。そのためには、僕が仕事を移らざるを得ない。僕が会長になってM&Aをやっていくんだと、そういう強い使命を持ってあの時お話させていただいたんです。

小池:ですよね。そこはすごく感じました。

高須賀:それしかないんだと。で、何件か(M&Aを)手がけて、まあいいんだ、いいんだと思いながらやっていたんですが、実はアメリカ在住のある人と話をしていて、「こんなオポチュニティある?」というような話になって、そこで昔の松下時代に僕が後のサイボウズになる事業のことを役員会で言ったときのあのイメージが戻ってきたんですね。

 そして、話しているうちに「あ、ここにこんなオポチュニティがあったのか」ということに気がづいて、もう辞めることだけ先に決めたんですよ。

小池:じゃあ、次の株主総会で会長になるというアナウンスだけして、その直前に辞めることだけを決めたというわけですか。

高須賀:もう事務局は大混乱ですよね。もう株主への招集通知などは印刷しているし。全部変更。すごく怒られました。

 100人ぐらいの会社でしたけど、結局僕が辞めたあとに、古株でずっとやってくれていた人たちが20人ぐらい辞めてしまいましたしね。そのたびに、辞めるなとみんなに言ってまわったんですけど、全然駄目だったんです。

 でも、逆に言うと、辞めたひとたちが作った会社が3つぐらいできていますから、まあそれはそれでいいのかなという気もしますけど、確かにいろいろな方に迷惑を掛けたのは事実です。やっぱり、当時は社員の人たちにはほんとに申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

小池:でもね、サイボウズ自体の経営を青野さん以下にお任せしますよと言っても、やっぱり創業社長が会長でいたりするとやりにくいじゃないですか。そういった意味で、きっぱり辞めるというのも、僕はすごくいいデシジョンだと思うんですけど。

高須賀:ただ、多分、表現は悪いんですけど、乗り換えるものがない、すごく魅力的なものがないと人ってやっぱり乗り換えられないんじゃないですかね。今やっていることがなかったら、僕も嫌らしいエゴですけど、(サイボウズに)居続けたと思いますね。いかに自分がエキサイティングになれるかというものを見つけられるかというのは、いろいろな意味があると思いますね。

小池:それから、結局、自分の(サイボウズの)持ち株を住商情報システムにお売りになりましたよね。それは、どういう経緯だったのですか。

高須賀:とにかく、どこに売るか、いくらで売るか、サイボウズの経営陣で決めていいからと。当時の30%ぐらいのディスカウントで譲りましたね。贈与になるかならないか、ぎりぎり。

 やっぱり僕は迷惑を掛けていますから、自分の金がどうやこうよりは「彼らがやりやすいところでやったほうがええやろ」っていう親心がありましたね。僕は結局、1株も市場で売っていませんから。まあ今度の事業をやるためだけのお金があればいいだけなんで。

小池:基本的には、その新しいことをやるための資金調達という意味もあったでしょうし、ある意味で退くにあたって、自分が持ち続けるのもご自身で抵抗があったんでしょう。そこは僕、素晴らしいと思います。譲るとはいっても会長職で残ってずるずるというのが、多分世間では多いんじゃないかと思うんです。

高須賀:(サイボウズが)嫌いなわけじゃないですが、会社で花とかもらって歓送会してもらった後は、僕は1回も会社に行ってませんし(笑)。

小池:創業者として、まったく未練はなかったですか。

高須賀:いや、まあ。それは相当悩みました。本当に。僕の人生の中でもトップ3に入るぐらい悩みますね。やっぱりいろいろな人に迷惑を掛けてしまうということと、やっぱり自分の築き上げたものですから、子どもと一緒ですねえ。で、サイボウズの価値観は僕の価値観ですから。分身みたいなものですから、それとの決別なので、それはやっぱり厳しかったですよね。意志決定は早かったんですが、おかしくなるんじゃないかと思うぐらい悩みました。

小池:次に打ち込むというものがなければ、もっとずるずる悩んでいたと思いますが、やっぱり新しくやりたいことが見つかって、そこに頭も切り換えられたから。

高須賀:今は、もうまったく次のことしか考えていませんね。

小池:起業家って僕のところにもいろいろな人が、「将来自分で起業したいんです」とか、「今こんなアイデアがあるんです」とか来るんですが、みんなね、話を聞いていると、「もうこれは絶対にいける」と信じ込んでいる人ってそんなにいない。話を聞いているとわかるんですよ。「こんなのを考えましたけど、どうでしょうね」っていう。それで、僕が「これ、いけるよ」と言ったらやってみようかという人が多いんですよ、実は。それで、おもしろいんですかね。

高須賀:昔は起業なんて遠い存在だったけど、わりと身近な人たちがやって成功事例も出てきているようなんで、やってやろうかなぐらいの思いでね。でも、「ほんとにこれだ!」、「今やらなきゃ!」というふうな心の底からオポチュニティを感じている人って少ないんです。

小池:僕は日米で1000以上のビジネスプランを見て、いろいろな人に会ってきましたが、そこまで思い込みを持って、enthusiasm(熱狂)を持っている人たちってなかなかいないんです。

 けれども、人生の中でそれに何度かぶち当たるというのはすごく幸せだし、なおかつそういうものがあったら絶対にそれを逃しちゃ駄目ですよ。そう言った意味で、高須賀さんは、今もすごく目が生き生きしていい顔してます。

高須賀:ビジネスを新たに興そうとしている今の時期が一番楽しいですからね。

小池:高須賀さんがそこまで思い込んでいる、新しいプランについてはまだ言えないんですか。

高須賀:はい(笑)。自分の中ではビジネスや事業を明確に思っているんですが、ほんとに偉そうなことを言って恐縮ですが、われわれの業界、コンピュータ業界にはすごいオポチュニティがまだまだたくさんあると思っているんです。僕はそのオポチュニティの中の一部の分野を担おうと思っています。

小池:それは何人かでやるんですか。

高須賀:最初は7、8人ですね。アメリカのパートナーと一緒に、日本からも日本人を連れてきてます。マーケティングの人間をこれから集めていくんですが、とにかくアメリカの会社なんで、アメリカ人を集めます。アメリカ人というか、アメリカにはいろいろな人がいますから。

 僕のひとつの夢はある何かで世界のトップになることなので、とにかく何でもいいんです。コーヒーショップでもいいんですが、僕は悲しいかなコンピュータ業界の人間なんで、データベースと言えばOracleさんですし、まあポータルと言えばYahoo!さんがやってはりますけど、僕はいまから始める次の事業で世界のトップになる。その条件を満たすために、それを実現するために僕は式じゃないアメリカに行かなければいけないんです。

小池:アメリカは嫌ですか。

高須賀:価値観がちょっと違う。嫌というか、僕は日本人なんで、日本の生活が一番自分にはいい。ただ、ビジネスを考えた場合に、ビジネスで一番有利な場所に行きたい。そういう意味で言うとサイボウズの時には、私は愛媛が大好きで東京はあまり好きじゃないんですが、ビジネスを最優先して東京に来ました。

高須賀氏と小池氏

小池:やっぱり日本でそういうビジョンを持って、自分でそのアクションを起こして思い込んでやっていく起業家が必要なんですよ。僕も10年以上アメリカに住んでいて、自分も起業家として生きてきましたけど、投資インキュベーションをやって、アメリカで投資をしてきたときと、日本でいま投資をしているものとの一番の違いは、とにかくグローバルなビジョンがあるかどうかというのが一番違いますね。

 アメリカの事業計画、ビジネスプランは、セールス・マーケティングのところは、だいたい「北米でこのぐらいの市場規模になります。ヨーロッパでこのぐらいの規模になるでしょう。アジアでこのぐらい狙います。日本でこのぐらいです。だからこのぐらいのビジネスになりますよ」とくるわけで、最初から世界市場を見るのが常識ですよ。

 ところがね、僕は日本の起業家で最高に不満なのは、アメリカでやっているようなもののコピーがそもそも多いんだけど、彼らのプランというのは、「アメリカでこのぐらいの市場があります」と、「日本はその10分の1ぐらいなのでこのぐらいのマーケットあるでしょう。その何%のシェアを取ります」みたいな、どんどん小さくなってそこを狙いますという話が多いんです。

高須賀:僕、それが嫌なんですよねえ。

小池:なぜね、せっかくこのインターネットというワールドワイドな環境があるのに、そうやって縮み思考でものごとを考えて……。オポチュニティの中をどんどん狭めて無駄にしているんですよ。

 ある意味で島国根性というか、最初からそういう考え方にさせられた教育とか環境があったんだと思うんだけど、やっぱりグローバルに出て行かなければいけない。じゃあ、北米に進出しようとかなんだとかいうと、やれ英語がとか、マーケットがわからないとか。

 わからなかったらわかる人間に頼めばいいだけの話で、もちろん高須賀さんがアメリカでやるといったって、高須賀さん自身がマーケティングするわけじゃなくて、北米は北米をわかった連中がやって、ヨーロッパはヨーロッパでやるわけだから、そういうビジョンを持ってフォーメーションをどう作るかという話ですよね。それがほんと日本の起業家に一番欠けているところなんですよ。

高須賀:ほんと向こうの人は大胆ですよ。大胆というか、やっぱり狙っているところが大きいですね。どうなるかわかりませんけど、今日ちょっと恥ずかしいんですけど、僕がいまやろうとしていることが向こうの新聞に載ったので、持ってきました。

 オレゴン州では一番メジャーなオレゴニアンという新聞なんですが、そこの1面に載っちゃいましたよ。オレゴンではちょっと騒ぎになっちゃっているんです。変なやつが日本から来たんで。たまたま紹介で、その記者にすごく興味を持たれて。

小池:じゃあ、この新聞に出ている範囲ぐらいのことはなんとなく話せる? あ、3年で1000万ドル突っ込むって書いてあるけど。あと、シリコンバレーじゃなく、オレゴン州のポートランドで展開するんだね。

高須賀:新聞には新しい事業のことは何も書いていないですけどね(笑)。これは僕の経験則からなんですが、とにかく最初の第一歩目はすごくハードルが高い。誰が最初のお客さんになってくれるか。最初のうちにどれぐらいの支援者がいるか。それがすごくベンチャーの中では重要で、僕は愛媛でスタートしましたから、たくさんお客さんになってもらって、たくさん話題にしてもらって、すごいスタートアップがスムーズだったんです。だから、サイボウズは初年度からずっと黒字経営でやれてたんだと思うんです。

 そこからのインサイトってすごいんですね。かつ、東京だとノイズがすごく多くて、目立ちもしないし、記事にもならないし、インプットはないし、手伝ってもくれない。田舎は記事にもなるし、助けてもくれるし、みんな話題にしてくれるし、すごく興味を持ってくれる。

小池:すごいストラテジックなマーケティングセンスがありますね。さすがに。

高須賀:もうここの場所はばっちりですね。ポートランドは今、「あいつら、何やねん?」みたいな。エコノミックの人たちの中ではもう徐々に浸透し始めています。そういう意味で成功しています。新聞にもこうやって載るわけですし、事実、これ、シリコンバレーだったら絶対に載らないですね。シリコンバレーだと一歩目のハードルが相当高いんです。

 でも、3年で1000万ドル使うなんて「アホちゃう?」とみんなに言われます。いろいろな人からいろいろなことを聞かれますね。ポートランドのベンチャーの人から、「なんでサイボウズ続けなかったん?」とか、「そんだけ資産があったらもうええんちゃうの?」みたいなこととか、彼らから見ても愚行きわまりない。

小池:ほほう。この記事はおもしろいね。結構、サイボウズのことがちゃんと書いてあるな。でも、たしかに新しい事業のことはなにも載っていないなあ。

高須賀:僕、サイボウズのことしかしゃべってないです(笑)。でも、新聞の1面に載っちゃったからもうすごい問い合わせが。僕のところじゃなくて、そこに出ている記者とか、うちの弁護士とかにすごいいっぱいコンタクトがあったみたいです。

小池:じゃあ、もうアメリカで登記はしてあるわけね。

高須賀:もう事務所もありますし。社名は「LUNARR」(ルナー)といいます。綴りが変なんです。ダブル「R」です。冗談で「英語を知らないから綴りを間違ってしまった」と言うんですが、それはアメリカギャグではないみたいです。日本的にはいけるかもしれないですけど。

小池:この新聞には、ティー・トゥー・ワークスっていう会社のことも載っているけど、これは何?

高須賀:ティー・トゥー・ワークスというのは、愛媛に名前だけある僕の個人会社で、実はLUNARRの100%親会社なんです。個人会社って何のためにやっているかというと、実はLUNARRの支援をしている会社なんです。僕がこうやって動いてる経費とか給料とか、全部ティー・トゥー・ワークスから取り崩しているんです。そのための会社です。

小池:いつぐらいになったら新事業のことを詳しく話せるようになる?いつ頃立ち上がるの?

高須賀:そうですね、僕は結構向こうに長いこと行くようになると思うので、向こうで立ち上がってきたら、ですかね。一応、さっきのサイボウズのときの事業計画書よりもっとちゃんとした計画を立てているんですが、一応5年後ぐらいには世界がヤバイと思ってくれる状況にしたいですね。「あいつらをほったらかしておいたのがまずかった」と言われるような状態にはしておきたいですね。

小池:いやあ、おもしろいね。いい意味で、こういうリアルアントレプレナーがほんとにベンチャー。ベンチャーってアドベンチャーだからね。

高須賀:夢を実現する、社会を変える。僕、辞めてからこうやって人にお話ししたのは初めてですね。

小池:そうでしょう、本邦初公開だね。ドリームを見てリスクをとってやる。いやあ、すごくわくわくしますね。これは期待できる! ここでのインタビューが、3年後日本のビル・ゲイツのインタビューになっているかもしれないよ(笑)。

高須賀:どうなるかわかりませんけど(笑)。頑張ります!

アントレプレナーへの言葉--小池聡

 昨年の春に、高須賀さんから食事に誘われた。今度、社長を青野さんに譲り、会長としてM&A戦略を指揮するので協力して欲しいという話だった。

 今思えば、その時の高須賀さんの目はあまり輝いていなかったように思う。創業から東証マザーズ上場、東証二部上場と順調に会社を成長させてきた安堵感からか、会長職に退いてM&Aを担当することに前向きな情熱が感じられなかったのだろう。

 約10年前の創業間もない頃に、高須賀さんから事業計画のプレゼンを受けた時のことを鮮明に覚えている。その時の高須賀さんの目は本当に輝いていた。人に説明をするときに相手から目をそらして話す人がいるが、高須賀さんは相手の目を眼光鋭く見て、目で訴えかける眼力がある。本当に伝えたいことがある時、自分が熱狂している時にそういう目になるのだと思う。

 今回の対談では、以前に増して目が輝いていた。輝きの度合いは、よく昔の少女漫画にあるような、目の中に星がいくつもある、まさにあの目である。社長から会長になることは、新聞発表もされ株主総会通知の印刷まで行われていた。しかし、それを急遽取りやめて印刷も刷り直し、サイボウズの保有株も売却し、完全に退任する決断をした。そのオポチュニティーと出会って3秒で決断したという。そこまで打ち込みたい事が見つかるというのは幸せなことだが、今、アメリカのポートランドでやろうとしている事業がよっぽどエキサイティングな事業なのだろう。

 私はアメリカで色々な経営者に会う機会に恵まれた。一様にいえる事は、経営のトップになる器量を持った人は、非常にマクロに物事を捉えるのが得意で大局的な判断をする。また、思い込みも激しく、決断も早い。日本の経営者には、一部のオーナー経営者を除いて、残念ながらマクロな事にこだわって、自分では意思決定できずに合議制で、リスクが取れない経営者が多いように思う。特にサラリーマン経営者は失うものがあるとリスクのある決断ができないのだろう。

 しかし、常に何か新しいオポチュニティーを求めている人にとっては、その何かが見つかってインスピレーションとして「これだ」という確信が持てた時に、そのオポチュニティーを取るリスクよりも、オポチュニティーを失うリスクを恐れる。だから瞬時に決断できることが多い。決断できる人と出来ない人で、その後の人生も大きく変わってしまうのだろう。高須賀さんは、もし仮にこのプロジェクトが失敗して全財産を失ったとしても、今回の決断を絶対に後悔しないと思う。

 「リスクを恐れず決断せよ。オポチュニティーやチャンスは待ってくれない。最大のリスクは機会損失のリスクである」

小池 聡

iSi電通アメリカ副社長としてGEおよび電通の各種IT、マルチメディア、インターネット・プロジェクトに従事。1997年にiSi電通ホールディングスCFO兼ネットイヤーグループCEOに就任。シリコンアレー、シリコンバレーを中心にネットビジネスのインキュベーションおよびコンサルティング事業を展開。1998年にネットイヤーグループをMBOし独立。1999年に日本法人ネットイヤーグループおよびネットイヤー・ナレッジキャピタル・パートナーズを設立。現在、ネットエイジグループ代表取締役、ネットエイジキャピタルパートナーズ代表取締役社長などを務める。日米IT・投資業界での20年以上の経験を生かしベンチャーの育成に注力。