ユビキタスエンターテインメント 代表取締役社長 清水亮
iPhone以後の自分というのは、本当にほとんどパソコンを起動しなくなった。
それ以前に、そもそもデスクトップPCというものを殆ど必要としなくなった。
先日、社内で新しく購入するPCの話をしていたのだが、自然にノートPCを購入する話になっていた。
EeePCのような低価格ハンドヘルドにするか、ThinkPadのようなふつうのノートにするかで意見が別れた。
僕の評価ではEeePCのような低価格ハンドヘルドは既に実用域に達しており、特にそのバッテリー寿命(標準で8時間)と、軽量さ、必要充分な画面の広さは評価に値する、と主張した。
一方、「大きなノート派」は、「エクセルを十分見渡せるだけの広さ」が必要と主張する。
僕が昔、「画面は広いほどいい」と行ってVAIOを買い与えたら「大きく重くて電池が持たない」と言ってたじゃないか!…という話はさておき、この議論はどちらにも一理あると思う。
が、EeePCを始めとする一連の小型ノートというのは、率直に言って価格革命なのである。
既存のノートPCとの棲み分けを明確化するために、敢えて使いにくくしているに過ぎない。
たとえばデスクトップ環境として使うことを考えたとしても、EeePCにUSBキーボードとディスプレイ、それにハードディスクを外付けした方がマシという気さえする。この場合の問題は、マルチディスプレイが実現しにくいということくらいだ。
これだけ高性能のノートPCが10万円未満で買えてしまうのが今の世の中なのである。
そして、技術革新によって、ライフスタイルというのはいとも簡単に変わってしまう。
僕は以前ほどパワフルなノートを持ち歩こうとするのをやめてしまった。
10年前は3キロもある、グラフィックアクセラレータ内蔵の超弩級ノート(70万円くらいしたと思う)をレドモンドの予算で買って、持ち歩いていたものだが、今やそんなことも必要なくなった。
まずGPU搭載ノートが軽量化した。
次に、GPUがあることはゲーム開発の絶対条件ではなくなってしまった。
今の僕にとってはGPUがあることよりも、なんらかのエミュレータが動作することの方が重要だ。
iPhone関係なら、Macが必須、それくらいのものである。
普段の使い方なら、EeePCで充分だ。いや、バッテリーライフとのバランスを考えるとすれば、EeePC901がベストだ、とさえ言える。
先日の宮崎出張にはEeePC901をひとつカバンに入れて持って行っただけ。これで事足りるのだ。
僕の手持ちの機械の中で、かなりの長丁場の会議でもコンセントなしで耐えられるのはEeePCだけである。
ただひとつの誤算は、MacBook Airに入れっぱなしにしていた開発途中のソースコード(といっても製品に使うようなシロモノではなくて半分僕の趣味みたいなものだ)がなかったせいでかなり退屈な時間を過ごす羽目になったことくらいだ。
ごく例外的に、ビデオ編集だけはデスクトップを使う。化け物みたいなメモリー(といっても、今時5GB RAMじゃさほどでもない)にクアッドCPUにクアッドディスプレイが、ビデオ編集みたいなことには便利だ。
そのビデオ編集にしても、実際のところ、MacBook Proがあればたいていのことはコト足りてしまうのである。
実はこれ自体が既に驚くべきことなのだが、たとえばZeptoPadのCM制作予算は数十万円のオーダーだし(もちろんたいしたCMではないのだが)、その放映手段はYoutubeのみである。
それでも3万ビューを獲得したし、ZeptoPadの広告告知は全てGoogle AdWordsで行い、一ヶ月で全世界で約1300万ビューの露出を行った。
映像を世界流通させることも、広告を全世界の人々に見せることも、全て持ち出したノートPC一台で出来るのだ。
AdWordsの状況確認やキーワードの追加、予算変更はiPhone上からでさえ可能である。
テクノロジーはこうして僕の仕事の仕方、ライフスタイルを変えた。
しかし変わらないものもある。
人間ということだ。
人間の脚の数は依然、日本だし、目も手も肺も二つずつしかない。
残念ながら心臓を含むいくつかの臓器はひとつで、そこは心もとないのだけれど仕方が無い。
いまでもご飯を食べる。
食べるものそのものは変わったが、テクノロジーのせいではなく加齢や体調が原因である。
そういうものは変わらないのだ。
変わり続けるテクノロジーは変わらない人間を軸として変わって行く。
人間とは本来、変わることを拒むものだ。
多くの日本人は日本語の代わりに英語を使って生活しようとは思わないし、一日の生活時間帯を急に夜型にしたり朝型にしたりというのも無理がある。
テクノロジーの未来を考えようとする時、まず人間について考えなくては成らない。
そして人間であることは生命であることにも関係があるはずで、生命と機械は未だに似て非なるものなのである。根源的なところで、生命と機械には依然として違いがあると思う。機械は生命に似せて作られるが、決してまだ生命そのものではない。
僕はもっと人間というものを学ぶ必要がある。
※このエントリはVENTURE VIEWブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および VENTURE VIEW編集部の見解・意向を示すものではありません。
コメント ( 1 )
日本 → 2本
ですね。
しかし必ずしも五体満足ではない方もいらっしゃいます。
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