2008年2月20日 06時00分
鳴海淳義(編集部)
Googleが世界中のあらゆる情報を整理したとしよう。すると、次に必要になるのは、その情報を自分の脳に効率的にインプットする手段だ。目の前にある膨大な情報も、自分のモノにできなければ有効活用できない。
では一体どうしたら、単なる情報を自らの財産たる知識に変えられるだろうか――。考え尽くした結果、セレゴ・ジャパンというベンチャー企業が一つのウェブサイトを生み出した。「iKnow!」である。
iKnow! は英語を学べるソーシャルネットワーキングサービスだ。英単語の学習「iKnow!」と、単語やフレーズを聴き取ってタイピングする「Dictation(ディクテーション)」などのメニューが無料で提供されており、仲間を作ってともに学習できるような工夫も施されている。サービス開始から約4カ月足らずで、すでにユーザー数は8万人を超えている。
ユーザーはiKnow! 内のマイページで自分の学習状況を管理することができる。人気の秘訣は豊富な学習コンテンツと、認知学に裏づけされた学習システム。そして知られざる運営会社、セレゴ・ジャパン。昨年10月にオープンしたばかりのサイトだが、そこに至る経緯は紆余曲折あった。
セレゴ・ジャパンは名前の通り、海外に親会社を置く日本法人だ。米国Cerego社が持ち株会社であり、セレゴ・ジャパンはその子会社となる。米国Cerego社はセレゴ・ジャパンを運営するための資金集めを主に行っているが、日本の投資家もセレゴ・ジャパンを支えているという。
Cerego共同設立者のEric Young氏とAndrew Smith Lewis氏は元々2人でビジネスを行っていた。それは「アゴス」(旧ザ・プリンストン・レビュー・オブ・ジャパン)という名前の、日本人向けに米国の大学院に入学するための試験対策を提供する予備校だ。
Cerego CEOのEric Young氏この予備校は、英語の知識よりも、試験に合格するためのスキルを上げることを目的としたものだった。
だがEric氏とAndrew氏は、短い期間で試験のためのスキルだけではなく、知識も上げることができたら、とずっと考えていた。それでも知識を短期間で向上させることは難しかった。
だが、予備校ビジネスをしばらく続けている中でひらめいた。それがiKnow! 学習エンジンの基になるアイデアだった。そのアイデアを基に、大学院や研究所の複数の科学者と研究を重ね、その結果、脳科学、認知科学、心理学に基づいた人間により早く情報を知識に変えるシステムを確立し、プロトタイプを作った。
彼らは2人で設立した会社に友人の科学者たちを招き、ひたすら研究を続けさせた。渋谷を拠点としながら、世界中の脳科学、認知心理学に長ける研究所等に送り込み研究を継続させた。
その結果、Ceregoが考え出した学習システムのアイデアを体系化することに成功し、日本、アメリカで特許を獲得した。このようにしてCeregoのiKnow! 学習エンジンの製品化の土台が確立していった。2003年のことである。
特許の中身は、まさにiKnow! アプリケーションのベースとなるものだった。情報がどのように人間の脳にインプットされ、保存され、アウトプットされるかというプロセスを徹底的に整理し、再構築した。学習のプロセスは、Learn、Review、Test、Scheduleの4つが基本である。CeregoはこれらすべてをトータルシステムとしてiKnow! 学習エンジンを生み出した。
セレゴ・ジャパン 代表取締役社長のAndrew Smith Lewis氏Andrew氏は言う。「これまで我々はずっと自分で学習していましたが、自分ですべてを管理するのは難しかった。例えばあと3カ月で試験があったと仮定した場合、その短い期間でいかに効率的に学習できるかということをコントロールしなくてはいけない。毎日、学習と復習を繰り返し、ときにはテストも行う必要がある」。
だが、ほとんどの人はそれを自分で管理できない。それに対して、セレゴ・ジャパンのシステムは、アプリケーションがすべてをコントロールし、完全なおまかせ学習を実現する。3カ月後に試験がある。その内容をアプリケーションに入力する。ユーザーがこれだけの操作を行えば、あとはシステムが全部コントロールしてくれる。今日は何を学習しなくてはいけないか。昨日見た単語を覚えているか。このようなことを人間が考えることなく、システムが管理する。それがセレゴ・ジャパンのメインアプリケーションiKnow! であり、秘密兵器というべきものだ。
当初はコンシューマー向けのウェブサービスを提供する予定はなかった。2000年に設立されたセレゴ・ジャパンは、2004年にBtoBビジネスを立ち上げ、企業向けの英語学習ツールとして納品していた。計画通り、順調に黒字を達成し、狙い通りの効果を発揮した。
それでも、BtoBは直接エンドユーザーとのかかわりがないため、爆発的にユーザーが増えることはない。加えて、当時iKnow! を導入していた大手企業は往々にして意思決定のスピードが遅かった。先方はiKnow! を大いに評価していながらも、最初の年は20人、その次の年は200人、5年後に2万人、といった具合の導入計画を示してきた。
しかし、これではCeregoの投資家に説明がつかない。いくら反応がポジティブとはいえ、動きが遅かった。すでにCeregoには、iKnow! は無料で出しても収益を確保するだけのオリジナリティを持ったシステムだという自負があった。さらに社内の開発陣も早く新たな機能やコンテンツを追加したいという気持ちを持っていた。
セレゴ・ジャパン シニア・バイス・プレジデントのマイケル 長谷川氏「法人ビジネスは非常に独特な、昔ながらの仕組みの中で動いており、かたやコンシューマーの世界は最新のWeb 2.0的な体制とトレンドの意識がある。その2つのエリアを同時に開発するのは両立が難しいため、我々はどちらかを選ぶしかなかった。最終的にはユーザーに直接アプローチしようというのは、すごくロジカルな決定でした」(セレゴ・ジャパン シニア・バイス・プレジデントのマイケル 長谷川氏)
「セレゴ・ジャパンがBtoCを追いかけることによって、全員に利益が生まれるわけです。我々にとってもそうですし、ユーザーにとってもそうです。無料で提供することにより、みんながiKnow! を利用して、ユーザーが増えれば今度は広告主が現れて、非常に好循環。もうこれしかない。それからは振り返らずに、まっすぐ前を向いて走っています」(Eric氏)
タイミングもよかった。Web 2.0というキーワードが一般にも浸透し、SNSももはや一般的なツールとなっている。そして、英語に対する日本人の意識も相変わらず高いままだ。
「様々な要素がすべてそろい、ぴたっとはまった感じがします」と長谷川氏は語る。Eric氏も「英語に関して文科省もいろいろと考えている。中学生からじゃなくて、小学生から始めようというのが一つで、あとは文法から入るカリキュラム自体がちょっとおかしいんじゃないかなどと議論されている。やはりこれまでの英語教育に限界があったのだと思います。一方で隣の韓国は成功していますよね。つまり、英会話教室のシステム、日本人の国際化、Web 2.0、ブロードバンドの普及。いろんな面でiKnow! にとってはタイミングがよかった」と語る。
iKnow! は無料のサイトだが、そもそも無料で提供することを前提に作られたわけではない。すでに法人向けのビジネスで黒字化していたサービスだからこそ、一般向けに無料公開した当初からユーザーの支持を得るだけのクオリティを確保できた。
「なので、コンシューマーサイトのユーザー数は、長年にわたってやってきたBtoBビジネスのユーザー数を一瞬で抜いていきました。全然スピードが違います」(Eric氏)
1月末にはゲーム機「Wii」から利用できるアプリケーション「BrainSpeed」をリリースした。セレゴ・ジャパンの開発陣はさながら多国籍軍というべき、多彩な顔ぶれだ。日本で活動する外国人のプログラマーグループとコンタクトをとり、そのグループをベースとしたクチコミによって人材を集め、チームを組んだ。
事実、セレゴ・ジャパンでiKnow! の開発に携わるエンジニア18人のうち、日本人は2人だけだ。あとはすべて海外から来ている。同社の社員は25名強だが、出身国もバラエティー豊かで20カ国に上る。今現在、外国人プログラマーの間で、セレゴ・ジャパンという会社名は、テクノロジーカンパニーとしてある程度の認知を得ている。
外国人主体で構成されたiKnow! のエンジニア陣。開発スペースは目が疲れないように照明を落としている。「最近になって特に多いのが、僕はFlashが得意です、こういうものを作ったので見てください、セレゴのメンバーになりたい、といった連絡です。我々は学習ビジネスを展開していますが、そこがポイントではなくて、実はセレゴ・ジャパンはテクノロジーカンパニーなのです。最先端の技術を駆使してサイトの構築・運営を行っているため、外から見ていてもわかるんですよね。中身はRuby使っているんだなとか、Flashでいろんなことやっているなとか。そういうのが好きな人たちが自然と集まってきます」(長谷川氏)
Eric氏はマニアックユーザーを大事にする土壌がマニアックプログラマーを引き寄せると語る。「例えば、サイトを使っているユーザーが実はプログラマーで、自分でプログラムを書いたアプリケーションをiKnow! サービスに絡め、他のユーザーにも使ってもらっている。そうするとアイデアはセレゴ・ジャパンに集まるし、そういう流れに敏感な他のプログラマーたちも自然にiKnow! に集まってくる。マニアックユーザーとマニアックプログラマーの両方とも大事にしたい。マニアックプログラマーがいればいるほど、新しい発想が出てくる。我々はWeb2.0、そしてその先に向かって突き進んでいます。もちろんセレゴ・ジャパン独自の基本方針はありますし、我々は我々のビジョンを追いかけています。また、現在のところすべてのコンテンツはセレゴ・ジャパンが作っています。しかし、永遠にそういうわけではない」
例えばFacebookのように、プラットフォーム化を目指しているということだろうか。その答えは「プラットフォームの提供と、学習コンテンツの提供、両方です」というものだ。長谷川氏は次のように語る。「プラットフォーム化に力を入れるということは、逆にコンテンツから退いてしまうように思われるかもしれませんが、そうではなくて両立していく。プラットフォームという環境を整え、ツールを与え、コンテンツを提供する。全ての意味でユーザーが『使える』開発をやっていかなければならないと考えています。ただ単に場を与えるだけは終わらせない。これから非常に多彩な展開を進めていきます」。
Web 2.0は、サービスを提供する側と使う側が双方向でコミュニケーションをとり、一緒に良いものを作っていこうという世界だ。すでに10万ユーザー到達も目前に来ている。例えばその1%のユーザーが熱心にiKnow! の世界で、色々な意味で活躍してくれれば、99%の他のユーザーたちはその恩恵を受けることができる。ユーザーが自発的に発信するものを最大限に活用して、サイトを発展させていく方針だ。
さて、iKnow! は無料でサービスを提供しているだけに、やはり広告が収益の柱となる。ただ、この会社はバナー広告をサイトに貼り付けることはしたくない。広告においても新しいアプローチを検討している。一言でいえば、学習と広告をマッチさせて、広告主にも学習者にも双方にメリットのある高い効果のある広告モデルだ。
まだ完成には至っていないが、そのビジョンについて、Eric氏は次のようなヒントを与えてくれた。
「発想としては、広告は行動を変えるということです。例えば、炭酸飲料の広告主ならば、広告を見た人がその飲料を買うことを望むでしょう。広告主のみなさんは認識していますが、要は彼らは、低価格で、かつ最もインパクトの大きいキャンペーンを望んでいます。広告を一回見せることによってユーザーが行動を変え、商品を買う。これが広告の究極の形です。行動を変えるということは学習でもあります。同じように、セレゴ・ジャパンもできるだけ少ない回数で、脳に最も刺激を与えて、より長く使える、行動を変える学習システムを提供しています。つまり、入り方が違うだけで、学習と広告には 共通点が多く、ゴールも一緒なのです」
少なくとも現在のオンライン広告と違う方法で、脳科学、認知科学をベースとした新たな広告手法が生み出されることになりそうだ。
「我々は広告主のパートナーでもあるし、ユーザーのパートナーでもあります。その中間にいたい。大事なのはユーザーを忘れてしまわないことです。例えば、ユーザーからたくさんのデータをとってEメールの広告を出しても迷惑ですよね。スパムになりますし、バナーだって、無料で使えるからしょうがないよねって思いながらも、露出が多すぎるとうっとうしいわけです。いまのユーザーさんたちに、“ただで使っているのだから諦めてね”ではなくて、ユーザーを忘れずにうまい仕組みを作り、そのニーズに対して適切なメッセージを発信することが我々の方向性です」(長谷川氏)
ところで、なぜ日本人は意欲があるにもかかわらず、英語が苦手なのだろうか。英語学習のプロでもある2人に聞いた。彼らは流暢な日本語を話すアメリカ人だ。
Andrew氏は「システムがよくないからだ」という。「個人的に思うのは、英会話教室に行って、本当に英語がうまくなった人がいるのか、ということです。日本人で英語を話せる人は、ほとんどが海外に行って外国人と話してきている。またはNHKラジオを聴いたり、最近は米国のテレビ番組や映画を見たりしてスキルアップした人もいる。しかし、英会話教室で英語がうまくなった人はほとんど見ない。我々が予備校を運営して思ったのは、予備校は結果がすべてということ。お金をいただいてTOEFLのスコアを上げなくてはいけない。でも英会話は結果があまり明確ではない」
それ以前に学校で学ぶ英語にも問題があると、Eric氏は話す。「日本の教育システムは文法から入るじゃないですか、徹底的に。日本の中学、高校を出ている人は文法に関しては私以上に知っていますよね。でも日本語のうまい外国人は文法から入っていないのです。日本人と話して、日本人の正しい日本語の使い方を聞いたり、使ったり、練習したり、間違えたり、それを直されたりとかを繰り返している。それが一番スピーディーだし、正確でナチュラルです」。
また脳科学、認知科学を研究している同氏ならではの科学的なアプローチもある。統計学に基づいて英語を勉強するのだ。「英語の辞書に出てくる言葉っていくつか知っていますか。実は50万程度なのです。では日常会話に出てくる95%の英単語数ってどれくらいでしょう。5000語程度です。つまり、辞書に載っている1%の単語数で、日常の会話に登場する単語の95%をカバーできるということです。5000単語とフレーズさえ暗記すれば、だいたいの英語は話せるようになります」(Eric氏)
日本人は、多くの時間をかけて、長年にわたって文法と、なおかつ膨大な数の単語を勉強するが、果たしてそれは実際に外国人が使っている単語なのだろうか。iKnow! のヘビーユーザーは、1カ月で3000単語を覚えているという。
「単語は積み木のブロックのようなもので、ベースの単語を理解して、学習をしながらフレーズ、表現などを吸収して、そして耳を慣らす。すると自然と会話ができるようになります。耳を慣らすというのがすごく大切なことで、iKnow! のDictationという、聞き取りとタイピングのアプリケーションがこれに大変有効です。日本の高校の英語は受験英語そのもので、いかにふるい落とすかを念頭に置いた仕組みになっています。いいものを吸収しようじゃなくて、できるだけ落として、狭める仕組み。そのあたりがミスマッチマッチを起こしている」(長谷川氏)
iKnow! 学習サイトの現在の完成度は、最終目標からみてどの程度のところにあるのだろうか。こう聞くと、長谷川氏は、「まだ2割くらい。先はまだまだ長いです」と答えた。セレゴ・ジャパンがその先に目指すゴールは壮大だ。
Andrew氏は次のように述べる。「大雑把に言えば、SearchはGoogle、LearnはCeregoというポジションになりたい。そして個人的な情報やデータを保存し、それを知識に変えるサイトを作りたい。人間がいままで学習した知識はどこにあるか?本やウェブの中か、あるいは頭の中だろうが、そのほとんどを我々は忘れている。だから、どこかに、そのような知識を保存して、いつでも立ち戻って、またさらに学習できるサイトがあればと思う」
「Googleのミッションは世界中の情報を整理することですが、Ceregoはまわりにある情報を自分の知識に変える手助けをしていく。My knowledge、My Brain、つまりは自分自身です」(Eric氏)
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