2007年12月18日 08時00分
こだまん
1996年の立教大学。大学の食堂を見渡すと、体育会系の軍団もいれば、ギター片手に集まる音楽サークルのグループもいる。そこに一人、バンド仲間の中でスーツ姿の一風変わった青年がいた。
彼はご飯を食べた後、後ろの電話ボックスに駆け込み何やら営業のアポイント取りを始めた。それまで勉強もそつなくこなし、華やかなマスコミ業界に憧れていたこの青年が飛び込んだ先は、まだ主となる事業があると言えばある、ないと言えばない20人弱のベンチャー企業であった。
その企業は株式会社セプテーニ。そして、この青年こそ、後に「ひねらんかい」を社訓に新規事業を立ち上げるセプテーニ社長の佐藤光紀氏である。
ベンチャー企業に飛び込み、経営者の座にまで上り詰めた佐藤氏の強みとは何か――。常に「物事の本質は何か?」を考えるセプテーニの佐藤氏に、さまざまお話を聞いて来ました。
※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。
佐藤光紀(さとう・こうき)氏:1975年3月11日生まれ。1997年、現セプテーニ・ホールディングス入社後、当時の既存部署にて営業を経験。1999年4月に新規事業立ち上げ部署「ひねらん課」を新設。同課を経て2000年4月「インターネット事業本部」を設立し、インターネットマーケティング事業に進出。2004年10月、セプテーニ専務取締役に就任後、2006年10月より代表取締役社長。
僕は東京の国立に生まれて、ずっとそこで育ちました。本が好きなので、漫画から教科書まで毎日読みあさっていましたね。
用意された教科書をすべて読んでしまうと、授業を受けていても、先に内容を把握してしまっているためにつまらなくなって、学校に行きたくなくってしまう。生意気でサボり気味、夕方になると塾に潜り込んで、教室の後ろでこれまた教科書を読む。活字が大好きで、常に文字が頭の中に入ってこないとなんだか満足できない。
今思えばイヤな子供でしたよ。ただそんな態度だから、たとえテストの点は良くても先生の評価は低く、成績はあまりよくありませんでした。
元々小さい頃は体が弱く、小児ぜんそく持ちだったので、自分は周りの友達とは同じようにアクティブには行動できないんだなということがコンプレックスでした。家で寝ていることが多く、必然的に「深く思考する」時間がたくさんあったんですよね。だから本を読みました。
図鑑、小説、文学系、哲学系そして歴史。今でも、読む本は新聞5〜6紙にビジネス誌、雑誌、小説、漫画の類いを週20冊以上は読んでいます。
中学に入ると徐々にぜんそくは良くなり、ようやく人並みの生活ができるようになりました。そうなると今度はコンプレックス解消のためか、「体がどうやって丈夫になるか?」を知るために情報収集をする健康オタクとなり、生活習慣に関してはかなり詳しくなりましたね。おかげさまで今ではすごく健康です。
読書とともに映画や音楽といった文科系が好きなんですよ。だから高校では軽音楽部に入りました。軽音楽部というとバンドサークルのイメージが強いですが、そこはビッグバンドジャズの部活で中身は体育会系、基礎練習を延々とやっていました。学業の方はというと、高校では評価がテスト中心になったせいか、勉強以外の態度がいまいちでも、成績は格段にあがりました。
芸大に行こうという発想はまったくありませんでした。元来のプロデューサー思考で、プレイヤー思考ではないんです。
大学に入ってからは、ずっと音楽ばっかりでした。かつて「ムーンライダース」が在籍していたというオリジナル中心のサークルに所属して、ロックやファンクのバンドを組んで演奏していました。勉学では早い段階で単位を取り終えると、残された学生生活では、音楽とアルバイトに明け暮れていました。当時はレコード屋とマスコミ関係での制作アシスタントのアルバイトをしていましたね。
好きな事を仕事にしたくて。一番好きなのが、メディアやコンテンツ産業なんです。コンテンツは、映像と音楽と文章で構成されていますよね。僕の大好きなその3つに出会えるので、こんなに楽しい事はないとマスコミ関係の会社で働きました。華やかな業界に憧れていたんです。
楽して最大の成果を上げたいというのは誰もが思うことですよね。僕もそうでした。マスコミ、メディアが好きで、業界へのコネもありましたから、マスコミ業界に入れる可能性は高かったでしょう。当時は、「音楽をベースに、楽をしてステータスのある仕事をする」が僕の人生計画でしたし、仕事は生活の手段であって、人生の目的は別にあると思っていたんですよ。
ところが、2年間のマスコミ業界でのアルバイトの中で、いかに日本の大企業が成熟・硬直化し衰退して行くかを目の当たりにしました。
例えば、終身雇用や働く人達のモチベーション。派閥抗争や、内向きな大企業の硬直化の現実を見て「これが日本の現状か!」と。
“モテリーマン”になれればいいやと思っていた受験も就職活動もしていない甘ちゃんの学生である自分が、日本はこういうものだという現実に直面したんです。
大学4年の夏。周りは就職活動に必死な中で、「自分は余裕」と思っていましたが、そんな、楽した考え方を改めようと思ったんですね。自分の人生は自分で切り開いて行かなくてはいけないし、バイト先で数十年後の自分がこうなっているだとういう姿を見て、こうはなりたくないと思いました。
「仕事を生活の手段にしてはいけない。仕事は人生の目的とベクトルをあわせるものだ」と。
そう思った瞬間、全身に電気が走りました。僕の人生の目的は「成長したい」ということだと気づいたんです。人より秀でたものが何もないと思った時、今の自分に出来ることは成長する以外に無いと気がつきました。だったら、成長しようとしている会社で力を発揮し、会社と共に自分自身も成長してゆける職場を選ぼうと思いました。結果、ベンチャーで成長を目指す会社を3つ選びました。
そのうちの1つがセプテーニです。他は人材ビジネスとCD・DVDレンタルの会社でしたが、その中でセプテーニが社員20人弱と一番小さかったのでここにしようと決めました。(今では残り二つも成長を続ける優良企業です)
1996年の中頃に内定がでると、すぐさま内定者アルバイトをしました。アルバイトとして当時の営業マネージャーについたその日に、今月の受注目標持たされて「はい、よろしく!」と。「えっ?よろしくって何が?」と渡された商品は、人材のサービスで1枚ペラの紙でした。
その頃の求人募集の票は各社バラバラだったんです。セプテーニはそのフォーマットを統一化する変換サービスを持っていました。めちゃくちゃニッチなビジネスけれどね。当時のセプテーニにとっては凄く大事な収入源だったんですよ。その名も「求人票らくらくシステム」。
これをペラっと1枚、電話とペラ1で「よろしく!」ですよ。しかも僕学生ですからね。一方でバンドやっていたでしょ。テスト期間のときは、試験、試験、空いた時間に電話ボックスでテレアポ、夕方から出社みたいな。
昔からすかしていながら実は内面では、そんな自分が好きではなかったんです。望んでやっている反面、目指したい姿とは違うと常に思っていましたね。
そう思う中で、泥臭い事をやるということは成長していく上で、とても大事なことだと思いました。また、小さなベンチャー企業の中で、会社経営の現実を目の当たりにして、経営者の目線で、会社の本質を思考しましたからね。「会社とは何だ?」「ビジョンや企業文化って何だ?」「増収増益で成長するためのプロセスは何だ?」と。
「昔からすかしていながら実は内面、そんな自分が好きではなかったんです。そう思う中で、泥臭い事をやるということは自身の成長の過程でとても大事なことだと思いました」
自分の営業スタイルを確立してプレイヤーとして稼げるようになると、昔のすかした自分がまた出てくるわけですよ。大企業に首をつっこんだ時に感じた「人の敷いたレールを歩くのはつまらない」という思い。自己の成長という目標達成のためにやっているわけで、ある時点で目的を達成してしまうと飽きてしまうんですよ。
粗利で1億というのが最初の目標で、これを達成した時に空虚になってしまったんですね。求人システムもDMの発送代行のサービスも僕がつくったサービスではない。七村社長(現在は会長)に相談を持ちかけて、会社を辞めて自分で何かやるか、社内でやるかという選択の場になったんです。その時は、セプテーニとしても事業を変換する時期にさしかかっていましたから、僕の目的と会社の事業変換の時期がマッチした。これも巡り合わせですよね。
「ひねらん課」は僕が社内で新規事業をやろうと決めた1999年の4月に誕生しました。部下もおらず机とPC1台でスタートして、社長から「6カ月以内に何をするか決めろ!」というルールだけがありました。
「はてさて何をやろうか?何をすればいいのか」という本質を考えましたね。何十個も事業を考えて行くうちに、どうも自分のアイデアには軸がないことに気づきまして。何事も軸をもって、そこに肉付けをしなければいけない。さらに高い所に目標をおけないと、また自分が飽きてしまったらまずいなという思いもありました。
飽きない軸をつくろう。基準をつくろう。その基準を満たしたビジネスをやろうと。ふと、このセプテーニという会社の原点に立ち返りました。7人ではじめて7つグループ会社を作るということで会社として「7」という数字にこだわりがあるので、僕もそれに習い7つの基準をつくりました。以下がそれです。
1.自分がやりたいこと
2.会社としてやるべきこと
3.誇れる仕事であること
4.成長市場であること
5.儲かること
6.1番を目指せること
7.優秀な人材が集まる事業であること
これらの軸をフィルターにして、それまでに考えついた事業を濾過していくと、7つすべてを満たす事業が2つだけ残りました。その1つが「インターネット広告事業」。もう1つは「グルメコーヒー事業」だったんです。
どちらも素晴らしいので、迷いましたね。「どうしようか?」と思案する中、そこで自分が描ける経営計画のトップラインを計算してみました。インターネットは最低でも1000億いける。グルメコーヒーは100億から300億。なら1000億を目指そうということで「インターネット広告事業」に決めました。正直、インターネットと決めるまで、パソコンに触ったこともないんですけどね(笑)。このように方針を決めたのが、1999年の9月。ちょうど与えられた期限の最終月でした。
事業の中身が決まったその次に、社長と話して決めたルールは、「新事業を半年で単月黒字化」でした。やることは決まったけど、さて、人をどうしようか、既存の事業部から借りわけには行かないし、大した人脈もないし…。
ふと辺りを見渡すと、そこには当時の内定者アルバイトの学生たちがいました。既存からは申し訳ないけど、新規からならいいだろうということで、内定者アルバイト、つまり社会人経験ゼロ、営業経験ゼロ、インターネット全く知りませんという「3ゼロの内定者」の中から数人選んでかつての僕のように巻き込んだわけです。
最初はメディアを作ろうということで、比較サイトを運営する事業を立ち上げましたが、これは3カ月で終了しました。いまいち伸びるイメージが沸かなくて。半年の期限の中で、3カ月が過ぎると、残りの3カ月が想像できるじゃないですか。でもその頃には、サイトを運営する中で、メルマガ広告での効果の挙げ方のノウハウを溜め込んでいたので、メール広告に特化したブティックエージェンシーを作ろうと、事業の方針転換をしました。
メール広告の市場では後発だったのですが、その市場ではトップになれたので,次のステージではネット広告、Eマーケティングを総合的に支援するインタラクティブエージェンシーになろう、と目標を修正しました。ただその市場でも後発だったので、新しいウェブサービス、よりエマージングな領域に特化して行こうと決めました。
それまで時間をかけてじっくり考えているだけに、事業そのものに対してぶれることはありませんでしたが、一番苦労したのはマネージメントですね。0から1にするステージと、1を100にするステージでは、求められる能力が全然違う。仕事を人に任せ、組織で業績を伸ばす所までシフトするのには苦労しましたね。
任せるということは、なんのためにやるか、どのように考えてやるかという目的や考え方をきちっと共有できることが大事ですよね。任せるまでは共有する。任せて結果を待ち、出来ていればOK、出来なければで「どうしようか?」と一緒に考えるということの繰り返しです。
自分がお客様に対してやって来たことと同じことを社員に対して出来るかどうかというのがとても重要ですよね。物事に直面して迷ったり、障害にぶつかったりすると、原点に戻り「こう決めたじゃないか!」と再確認します。自分が作った軸に沿って経営判断をすることは今考えればとても重要なんですよね。
やっていることは一緒です。最初の事業計画から高い目標を掲げているから、自分のモチベーションも変わりません。例えば、0の段階で1000億を考えると夢物語になってしまいますが、売上が300億位になると、徐々に1000億は視界に入ってきます。そうなると、飽きっぽい自分の性格上、目標達成による燃え尽き症候群の訪れが心配になります。(笑)
だから僕は自分の中で、当初の目標に近づくにつれて、さらに高いところに目標を想定してみます。例えば売上が100億になった段階で、売上1兆円・純利益で1000億円に目標を設定し、シミュレーションしてみたり。純利益が1000億になれば国内でもTOP50に入る規模になりますから、そこそこ大企業ですよね。
でもそうなった時に、当時自分が感じた硬直化した大企業ではなくて、次の世代を背負ってたつ成長する大企業になっていたいんです。オープンかつフラットでフェアな会社だったら、数十年後の僕がそのときの学生の立場になったとしても、当時自分が感じた「仕事って、つまらないな」という気持ちは解消されるじゃないですか。セプテーニも、いつかはそんな会社に成長させたいです。
「自分がイメージをした最高傑作を作るという観点で、会社程面白いものはないと思っています。アントニ・ガウディの『サグラダ・ファミリア』のように、時代が変わってもその人の意思が受け継がれていくというのに共感します」
そうですね。あまり考えたことはないです。飽きてないですし(笑)。優秀な人材が集う場所を作って、集団の中で一番輝いている人を見つけて口説く。会社って、バンドをつくるのと似た要素があります。また、世界のメディア産業の変革の中心にあるのがインターネットの広告なので、一番イノベイティブなところで活動しているということは、結果的にはミーハー気分で憧れていた学生時代の僕と変わらないのかもしれません。知らず知らずにそういう道を選択していたのかもしれません。
自分がイメージをした最高傑作を作るという観点で、会社程面白いものはないと思っています。アントニ・ガウディの「サグラダ・ファミリア」のように、時代が変わってもその人の意思が受け継がれていくというのに共感します。僕にとって、経営者というのは本当に天職だと思います。大変ですけど、楽しくて辛いというのが仕事だと思っていますし、人生の目的に近いので飽きません。幸せですよ。
『ビジョナリカンパニー2』です。自分の経営の考え方に一番近く、感銘を受けた本です。漫画だと、登山ものの『岳』(石塚 真一著)や『PS羅生門』(矢島 正雄著)のような、泣ける人間ドラマが好きです。
ハードボイルド系だと、ディック・フランシス、レイモンド・チャンドラー、藤原伊織などをよく読みます。ハードボイルド小説は、どれも大枠の流れは一緒。でもその1冊の本の中の1〜2行に、人生の本質をつく大切なメッセージがある気がして。これを見つけた時は必ずその頁に赤線を引いておきます。
旅行が好きで、よく行きます。以前は海外中心でしたが、最近は、日本国内に目が行くようになりました。あとは散歩ですかね。デスクにいても考えがまとまらないタイプらしく、煮詰まるとぶらっと近くへ散歩に出てしまいます。オフィスが緑溢れる新宿御苑の近くでよかったです。(笑)
いいですね!いつか武道館で社員総会をやれるくらい大きくなりたいですね。社員1万人になって武道館で社員総会をやったら盛り上がりそう。その時の最高のバンドを呼んだりして。やっぱり東京ドームではなくて武道館がいいですねぇ。この思い、周りの人にはなかなか分かってもらえませんけど(笑)
1997年日本アイ・ビー・エム入社。ベンチャー企業との協業、インターネットプロバイダー市場のマーケティングを経て、2000年よりナスダック・ジャパンに出向し、関東のIT企業および関西地区を担当。帰任後は、IBM Venture Capital Groupの設立メンバーとして参画し、その後退職し米国へ留学。パブリックラジオ局(KPFA)での番組放送の経験を得て帰国後の現在は、「“声”で人々を元気にする」をモットーにラジオDJ、イベント司会、ポッドキャスティングの分野で活動中。「Venture BEAT Project」プランニングメンバー。好きな言葉は「アドベンチャー」。
ブログ:「Edokko in San Francisco 2007」
趣味:タップダンス、ビリヤード、会話、旅、スペイン語
特技:アメリカンフットボール、陸上競技100m
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