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 シーエー・モバイル専務の小野裕史氏。注目される急成長モバイルビジネス集団の若き経営幹部は、IT業界の中でもとりわけ異色な経歴を持つ。

 宇宙について研究を始めたかと思えば、その次は生物、そしてIT。いずれにおいても抜群の才能を発揮する一方、2〜3日は徹夜でゲームをやり続けてしまうという現代っ子。初めて会った人の中には、「変な人か真面目な人か分からないけど、確かなのはすごい面白い人」という掴みどころのない一面も併せ持つ。

 幼少期は内向的で本の虫だった小野氏を、興味の赴くままに、さまざまな世界へ飛び込ませる原動力になったものは何か――。支えたのは、上京前に決意した「より高みを目指そう!」という想いだ。

※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。

「東京ってすげぇ!」

--まずは歴史を知るということで、幼少期の小野さんについて教えて下さい。

小野氏 小野裕史(おの・ひろふみ)2000年東京大学理学系東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻修了、同年日本アイ・ビー・エムシステムズ・エンジニアリング入社。同年9月シーエー・モバイルに入社。2002年12月同社取締役就任、2003年12月専務取締役。

 僕は札幌に生まれ、高校までは札幌で育ちました。面白い人間だったとは決して言えなくて、とにかく本を読んでいましたね。1年間に数百冊の本を読むような子供でしたし、話すのも苦手で非常に内向的な少年でした。

 ずっと内向的だった自分が変わったのは、高校2年の時にある友人と出会ったころからです。僕の高校は札幌南高校という進学校でした。その友人は東大の医学部にその学校から唯一現役合格したほどできる奴で、彼と出会うことで勉強にも意欲を燃やし、随分と社交的にもなることができました。

--真面目に勉強するようになった先の目標が東大だったということですが、何故また東大だったんでしょう?

 これは恥ずかしい話ですが、そのころの僕は東京のことなど全く知らなかったんです。友人が東京に遊びに行って戻ってきた時に、「ビル一棟全部が紀伊国屋だったよ!」「地下でトンネルが交差しているんだ!」と聞かされ、純粋に「すげぇ!」と感動していました(笑)。

 一方でその彼とともに遊び、勉強する中で、「世の中にはもっと上がある。より高みを目指そう!」という気持ちが芽生えてきました。「せっかく勉強をするなら一番上に行こう。行けば、その先に道が開けるだろう」という気持ちが強くて、東大を目指すに至ったわけです。

--ご家族からは「医者になれ」というプレッシャーがあったとか?

 親からは医者になれと言われていましたが、僕は絶対に医者になりたくなかった。他方で、家系の中には物理学をやっていた人もいました。僕自身は昔から天体望遠鏡を覗いていたりと天文学には興味が合ったので、同じ理系でも医学ではなく宇宙物理学を学ぼうと思いました。

 とはいえ、せっかく高い志で入ったにも関わらず、ほとんど勉強をしませんでしたが(笑)

--大学は勉強以外にも学べることが沢山ありますよね。勉強しない代わりにどのようなことをやったという記憶がありますか?

 浪人時代に駿台の中山寮というところに入ったんです。ここは、全国から400人程度の浪人生が集まるところで、大学に入ってからは、ここで住み込みのアルバイトをしていました。

 浪人生は志が高いので、大学で勉強するよりもここでの生活の方が刺激的でしたね。喧嘩の仲裁とか、この寮では毎日大小さまざまな事件が起きるんですよ。

--そろそろ、そんな大学生活を過ごしてきた小野さんとIT業界で活動する今の小野さんに接点が出てきても良いころなのですが…。その後、大学院でプログラミングなどを勉強されたんでしょうか?

 大学院に入ってからは、ちゃんと勉強しました。ただし、宇宙物理学よりも生物学に興味を持ち始めました。

 「宇宙」って、手元にないじゃないですか。どんなに研究しても、すべては机上の空論という感じが否めませんでしたね。一方、何千何億という生物も最初は1つの卵から発達していったということの方が不思議でならなかったんです。

 細胞は、増殖して爪になったり、目になったりしますよね。すべては遺伝子からの指令でそうなるわけですが、では、「最初に脳になれという指令を出す遺伝子はどれか?」。これが僕の研究でした。

設計図を解くからつくるへ

--深いですね。物理学から生物学へ――。手の届かない世界から、手の届く、それもミクロの世界に興味を持つところまでは理解できましたが、いつになったらITが出てくるのでしょうか?(笑)

 生命に関する研究をしていると、遺伝子の世界とコンピュータの「0と1の世界」というものが、全く同じだと思えてきたんですよ。どこかを0から1に上げたら、その下が1になったり0になったり、連鎖でプログラミングってできてくるし、遺伝子も同じなんですよ。

画像の説明 「生物は神が作ったものの設計図を解き明かすという感じですが、プログラムは自分が神になって設計図を作っていくことができる。これは僕とって至福のときでしたね」

 生物学は、手元で実験ができるから面白いと思えたのですが、再現性は低い。せっかちな僕は、結果が出るまで待っていられないんです。では、コンピュータはというと、指示を出せば必ずその通りにやり、すぐに結果を出してくれます。僕の気持ちは、一気にコンピュータへ傾いてしまい、全く研究しなくなってしまいました。

 大学院1年目には将来を有望視されていましたし、2年分の論文も書き上げていましたが、途端にコンピュータにはまり、ひたすらプログラミングをしていました。

 生物は神が作ったものの設計図を解き明かすという感じですが、プログラムは自分が神になって設計図を作っていくことができる。これは僕とって至福のときでしたね。

--なるほど。その後一気にITの世界へのめり込み、モバイルのゲームサイトを立ち上げたと聞いていますが、何故モバイルだったのでしょうか?

 大学院2年目の1年間の話です。ちょうどNTTドコモが「i-mode」を出した当初の話です。コンピュータをやっているうちに、インターネットのサーバを立ち上げ、ホームページを作ろうと思い立ちました。でも、僕にはデザインの才能がない。デザインの才能がないと、不思議とPCのサイトを作りたいと思わなかったんですよ(笑)

 そのころにi-modeが登場し、これならデザインは必要ないということで、モバイルへ。ゲームのサイトなどをいくつか作って運営していました。

--ご自身でモバイルのサイトをやりながらも、就職先は大手のIBMシステムズエンジニアリング(以下ISE)。自分で会社を立ち上げるという時流も2000年頃からはあったと思いますが?

 当時は技術を徹底的に学びたかった。そこで、どこが一番学べるだろうということからIBMを考えました。しかし、IBMよりもISEの方が技術について特化しているということでしたから、まずはそこで3年から5年間は勉強しようと。

 その先に何があるか分からないし、独立できるかも不明だけど、何かしら立ち上げたいという思いはありました。サービスを作り、広めて、使ってもらうというのが、最高の快感でしたからね。

不思議な縁による転職

--と、腹を決めて入ったものの、半年で辞めてシーエー・モバイルへ行く決意をしたのは何故ですか?

 ちょうど研修が終わった段階で、ISEを辞めました。8月末に退職願いを出して、9月1日付でシーエー・モバイル(CAM)へ入社。あり得ないほどのスピード退職でした。

 退職の理由としてはこうです。ISEの研修で色々と学びながら、深夜はモバイルサイトオーナーとしてサイトの運営・管理をしていました。そのころ、CAMの取締役の方と会う機会があって、「CAMに広告を売り込んでやろう!」と思い、お会いしたところ、気がついたら僕が営業を受けてリクルーティングされていました(笑)退職の決断は直感で、モバイルビジネスの今後の成長性へかけるという思いが一番でした。

--当時の小野さんがやっていたモバイルのゲームサイトは、収益を生むモデルだったのでしょうか?

 若干話が前後しますが、ISEに在籍しながらサイトオーナーをやっていたころ、(2000年の6月頃)は広告を貼ろうにも方法がほとんどありませんでした。

 「どうやったらマネタイズできるか?」と調べたところ、i-mode向けにサイバーエージェント(CA)がやっている「アイクリック」というクリック保証広告のサービスがありました。「これだ!」と思って申し込んでみると、「只今、サービス停止しています」という回答が入ってきまして…。そこで「ホームページを開設しているのに、サービスをやっていないのはどういうことだ!」ということで、クレームを入れたんです。

--完璧にクレーマーですね(笑)。

 そうですね(笑)。規約を見て、「ココとココがおかしいだろう!」と指摘して返したんですよね。そうしたら、僕のクレームメールが、当時設立直後で事業を模索していたシーエー・モバイルの代表取締役である外川(穣氏=現任)へ、回り回って届いていたようです。

 当時はそれで終わり、自分のサイトはマネタイズできずじまいでした。その後、シーエー・モバイルに入り最初にやった仕事はというと、先ほどのアイクリックの立ち上げ(笑)。まだ立ち上がってないからやってくれと。自分がケチを付けたサービスを自分が規約から中身から直す運命だったんだと理解しましたよ。

--クレーマーが自分で改善するというのも何かの縁なのでしょうね(笑)。さて、モバイルビジネスの可能性に賭けて飛び込んだベンチャービジネスの世界。シーエー・モバイルでのお仕事について詳しく教えて下さい。何から手を付けたんですか?

 まずは、自分たちでメディアを作るというところから始めました。

代表的なメディアは「パケお」というサービス。メールアドレスの他に、サブアドレスを提供して、使えば使う程パケットが戻って来るというものです。20万〜30万人のノンプロモーションのバイラルマーケティング(口コミ)だけで一気に広がりました。

 もう1つは、僕がクレーマーだったアイクリックです(笑)

組織の拡大とプレッシャー

--CAモバイルは市場の拡大という追い風も受けて急速に成長していますが、小野さんも開発者から専務という立場に変わりましたよね。そこでの戸惑いなどはありましたか?

 取締役になったのは3年前です。5人の頃は自分が頑張れば良かったのですが、大きくなると当然ですがそうもいきません。「プログラミングはやるな!マネージメントをやれ!」と言われ見よう見真似でやりましたね。正直、寂しかったですよ。やっぱりプレイヤーでしたから、いきなりマネージメントと言われてもね。

--資金的にも人材的にも色々なことが仕かけられるというポジションと、企業力がある現在においてのモチベーションはいかがですか?

 今の社員数は連結で約400人。市場も成熟しているし、競合も増えているので、打率は低くなっています。また、会社の組織としても、規模が大きくなってきたのでそうそう失敗できないというプレッシャーもあります。

 その意味では難易度は以前に比べて高いけど、でもうまく行けば大きな成果物をえることができます。山を登ったらもっと高い山を登りたいという感じに似ていますね。

--現在どのようなお仕事をされているのですか?

 広告の営業部隊とポータル以外はすべて僕が見ています。子会社や海外、コマースなど。幅広いですが部下が優秀なので助かります。プログラミングをやりたいという気持ちはありません。僕よりも優秀な人材に任した方がいいですからね。

--会社が大きかろうが、小さかろうが、悩むときは悩みますよね。小野さんはうまく行かない時の気持ちの浮き沈みに対して、どのように対処していますか?

画像の説明 「苦しいながら真摯に生きつつ僕を育ててくれた両親に少しでもよりよい時間を返せれば、という想いは僕の『少しでも高みを目指せれば』という想いの根っこかもしれません」

 一番辛かったのは、入社直後でした。自分の給料分をどうやって稼ぐかは大きな悩みでしたね。でも、この先の楽しいことを考えると、今の辛いことを忘れてしまうという性格です。良い意味で忘れやすいということでしょうかね。

--こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが、若くしてベンチャー企業に入り、仕事上で年齢の壁を感じたことはありますか?

 正直、感じたことはありませんね。社内はみんなが若いベンチャー企業ですから。でも、エスタブリッシュメントな企業の方々と会う機会が増えてきて、年上の方々と接することで、経験の差は埋められないということを強く感じました。それは、壁というより尊敬すべき点であると学びました。人脈もそうですし。一朝一夕ではなし得るものではないですもんね。

--小野さんの尊敬する人はどのような人ですか?

 ソニーの創業者である盛田昭夫さんは尊敬する人の一人です。学生時代に起業のおままごとみたいなことを始めたとき、ソニーの理念を学びました。あの理念は本当に素晴らしい。もう一人は、三国志の諸葛孔明かな。

--おっ!ここにも歴史上の人物が登場しましたね。では、研究肌の小野さんにとって好きな本、何度も読み返す本はありますか?

 継続して読み続ける本はないんですが、「ビジョナリーカンパニー」は良かったですね。明確なビジョンがあることに対してのみ、人はモチベーションを維持できると思っています。

高みを目指す想いの根っこ

--忙しい中でも時間を割いてやってしまう趣味などはありますか?

 結構飽きっぽいんですよ。今はゴルフにどっぷりはまっていますが、以前から継続してゲームは大好きです。RPG(ロールプレイングゲーム)は寝ずに2〜3日かけて終わらせます。『三国志』のようなリアルタイムシュミレーションゲームも大好きで、こちらも寝ずにやってしまいますね。

--最後になりますが、これまでのお話を聞いて、友人から引き出された「より高みを目指そうという気持ち」。それはもっと以前から強く心の中に眠っていたような感じを受けました。ご自身のもっと深いところには何があるのでしょうか?

 んー。実は僕の家、つまり小野家は4代ほど前までは札幌の中心地を広く押さえる地主になるまで事業を成功させたようですが、3代ほど前に事業に失敗し夜逃げするように土地を引き払って今に至ったようです。都落ちとまでは言いませんが、幼心の頃は過去の栄光の話しを親族から聞きながらも両親の苦しい生活を見ていたため、成功から底辺へ追いやられた感じを肌で感じていました。ですから、漠然とですが小野家を再興する意味でも何か形に残したいとは思っていましたね。

 そして、もう一つ。小学校のとき内向的なあまり2年間程度、登校拒否して入院していたんです。当時生活が苦しかったはずの家族に随分と金銭的にも精神的にも迷惑をかけ、本当に申し訳なかったと思っています。正直、自分では親の負荷がどの程度のものだったかは分かりえないのですが、今は毎年両親を海外旅行に連れて行き、楽しく酔っ払い楽しい時を一緒にすごせることで、親孝行として少しでも穴埋めができればと考えています。苦しいながら真摯に生きつつ僕を育ててくれた両親に少しでもよりよい時間を返せれば、という想いは僕の「少しでも高みを目指せれば」という想いの根っこかもしれません。

--そうでしたか、でも、僕はそういう想いを小野さんが持ち続けていること自体が、本当の親孝行なのだと思います。ところで今度、ゲーム『三国志』の統一戦略を教えて下さい!

 いつでもどうぞ!小野家再興を目指す者のマニアックなテクニックをお教えします(笑)

Venture BEAT Project
こだまん(児玉 務)

1997年日本アイ・ビー・エム入社。ベンチャー企業との協業、インターネットプロバイダー市場のマーケティングを経て、2000年よりナスダック・ジャパンに出向し、関東のIT企業および関西地区を担当。帰任後は、IBM Venture Capital Groupの設立メンバーとして参画し、その後退職し米国へ留学。パブリックラジオ局(KPFA)での番組放送の経験を得て帰国後の現在は、「“声”で人々を元気にする」をモットーにラジオDJ、イベント司会、ポッドキャスティングの分野で活動中。「Venture BEAT Project」プランニングメンバー。好きな言葉は「アドベンチャー」。

ブログ:「Edokko in San Francisco 2007

趣味:タップダンス、ビリヤード、会話、旅、スペイン語

特技:アメリカンフットボール、陸上競技100m