WillVii 代表取締役社長 塚崎秀雄
最近「言葉狩り」というか、「間違え探し」的なバッシングが過度に行われていると強く感じています。このままでは、社会全体が萎縮してしまうのではないという危惧さえ感じています。この状態は1990年代後半に私がアメリカに住んでいた際に驚いた、「political correctness」騒動に近いものを感じます。当時のアメリカもひどいもので、テレビや新聞、雑誌、講演会全ての場で、不適切な発言が少しでもあると大騒ぎになっていました。結果、発言のメッセージの深さよりも発言の言葉遣いに力を注ぐようになり、公式発表は押並べて特徴のないつまらないものになっていったように思います。最近の日本では、女性歌手の不適切発言がその良い例ではないでしょうか。確かに彼女の発言は間違っていましたし、それにより傷ついた方もいたでしょうから、彼女は謝るべきです。しかし、彼女はあくまでも歌手であって、医者ではありません。また博識として認知されているほうでもありませんから、彼女に医学の専門知識があると思った方は少ないでしょう。そうなると、彼女の発言にそれほどの威力があったとも思えません。一方で、彼女は何ヶ月も間、活動を自粛するという過度(と私は思う)ほどの罰を受けています。では、専門家でなければ公の場で発言するな!というのも無茶でしょう。そうなると何も発言できなくなりますよね。それに専門家かどうかなんてどうやって、誰が判断するのでしょうか。現実的とは思えません。アメリカの場合は、幸いにして、あの国は何事にも異議を唱える人がいますから、過度な流行を批判して、ゆり戻しが起こりましたが、今のところ日本ではそうした動きは(私には)見えていません。何事も徹底した実施を好むこの国の文化を考えると、このままだと、戦時中の隣組のように、お互いの「不適切」な言動を避難しあうような国になってしまうのではないかと不安になります。繰り返しになりますが、私は人を傷つけるような態度や言葉は確かにいけないことだと思いますし、奨励すべきことではないと考えています。しかし、誰にでも間違えはありますから、数度の間違えでその人の全てを否定したり、社会的な立場を崩壊させて島様なことは避けるべきだと思うのです。
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