ふと、こんなことを言われた。
「僕は叱られても仕方がないようなミスをいままで何度かしているはずです。そういうときには遠慮せずに叱ってください」
もちろん遠慮していたつもりはないんだけど、僕は部下を叱ったりするのが苦手だ。
ただ、ここ最近は立て続けにいろいろあって、確かに何度か叱ったことがある。
誰かを叱るというのは、エネルギーが要る。
血圧も上がるし、相手になぜそれがまずいのか、うまく伝えなくては意味がない。相手がそれを理解してくれるように叱るのは、とてつもなく高等な知的作業である。
よくドラマなんかで、部下を頭ごなしに「バカモン」と怒鳴りつける典型的な石頭上司というのが出てくるが、考えても見て欲しい。
石頭ということは、それだけ確固した価値観を持っているということで、しかもその硬直した価値観でそこまでのし上がってきたのである。
もしくはのし上がってきた価値観がその石頭を構成している大部分であって、会社からみればその石頭は非常に高い知的生産価値を持っているといえる。
その上で、「バカモン」と怒鳴るくらいのテンションの高さ。
誰かを大声で怒鳴りつけるリスクとかを全く怖れていない。ある意味で問題社員に対する毅然とした態度。それって凄いことだ。
僕はとてもそういうテンションで人を叱ったりできない。
ドラマだから「バカモン」という叫び声で始まるけど、その前のステップとして、「高山、大下、ちょっと来い」と言って呼び寄せ、その上であのテンションだ。急にテンションを上げたり下げたりしていれば、早死にするわけである。
まあそういう頭ごなしに叱る上司を全て肯定するわけでは決してないけれども、それでもそれは凄いことだと思う。
上司と呼ばれる人の重要な仕事のひとつは、叱るべき時に部下を叱ることである。
間違ったことをしてしまうのは、人間だから仕方がない。
けれども、間違いを正さなくてはいけない。人間には自ら犯した間違いを正す能力がある。
でも今の世の中は圧倒的な人材の売り手市場だ。
社員は会社が気に入らなければすぐに辞めて転職してしまうだろう。
うちの社員はもともと出来がいいから、いい転職先などいくらでもあるはず。
彼らを採用するために使った採用コストは金銭的にも時間的にも相当なものが掛かっている。まさに金の卵なのだ。
そう思うと、なかなか頭ごなしに叱るというわけにもいかない。気を遣うのである。
まあこれは、今の日本の会社ならどこでもあるような悩みだろう。
それでも叱るべきときに叱らなければならない。
叱るのは叱る方も、叱られる方も、楽しいことではない。
あるとき、「俺も本当はもっと毎日ニコニコしてたいよ」と愚痴ったことがあって、なんだよこれじゃあ昔の上司みたいだな、と思って自嘲したのだけど、一人一人の社員にとって叱られるのが年に一度であっても、僕にとって叱るのが毎週である可能性は有り得る。それは率直に言って辛い。
それでも「もっと叱ってください」と言われたのは、ハッとさせられたというか、僕にとって社員というのがあまりに大切な存在だったために、本当にギリギリになってからしか叱らなかったのがいけなかったのかもしれない、と思うようになった。
もっと先回りして叱らないとダメみたいだ。
でもあまり先回りすると、たとえばミスを犯す前にそれを未然に防ぐようなタイミングで叱ってしまうと、その人はなぜ叱られているのか体感的に理解できず、上司に不満を持つだけで終わってしまいそうな気がする。
だから敢えて小さい失敗を犯してしまったとき、本人がミスを理解しているようなときに叱るようにしていたのだけれど、上司の役割としては本格的なミスを犯す前に叱るべきなのかもしれない。難しい。
どちらにせよ、嫌われ役である。
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